向井理がひげを生やしました。
こういうときにひげを生やすのはいささか。 大坂冬の陣から1年しかたっていないんだけど。 さて、徳川家は再び豊臣家を挑発する。 ①秀頼が大阪を出る。 ②浪人たちを放逐する。 何とか初は必死で和平を結ぼう、説得しようと駿府と大阪の間を駆け回る。 しかしながらなかなかうまくいかない。 秀忠も高台院のところへ行ったりするが、逆に 「淀は気性が激しく、武将のよう。止めても無理だろう。 この世を平和にするには、避けては通れぬ道。」 出家した高台院が何を考えていたかはわからない。 ただ、 「何の力もない」 と言うのは確かだったのかもしれない。 家康も強硬な態度をとる。 「太平の世にするには力で相手をねじ伏せるしかない、それが駄目なら出ていけ」 結局、大坂夏の陣は始まってしまう。 家康は自ら総大将となる。 トップが前線に出ていることを考えると、よほど本気であったことは確かだろう。 かたや秀頼は前線に出ず。 やはり士気がでない、か。 が、真田幸村は自ら死に物狂いで突撃する。 その荒々しさが後に英雄と称えられるゆえんなのだろう。 加えて判官びいきも相まって、『真田十勇士』などの物語が作られるようになった。 まあ、所詮は多勢に無勢でやがて押し返されていくのだが・・・。 「家康卿の御旗本さして、一文字にうちこむ、家康卿御馬印臥せさすること。異国は知らず、日本にはためし少なき勇士なり、ふしぎなる弓取なり真田備居侍を一人も残さず討死させる也。合戦終わりて後に、真田下知を知りたる者、天下に是なし。一所に討死にせるなり。『山下秘録』」 そしてついに数で押し返し、大阪城落城は時間の問題となった。 淀は・・・。 最期を悟り、初と千を城の外へ連れ出す。 江に、板ばさみにしてしまったことを謝罪する手紙を送って。 史実通り、淀と秀頼、山里丸にこもる。 秀忠に最後の判断を仰がせた家康。何を考えていたか。 自分の後継者として、最終的な判断を仰がせたかったのか。 そして天守閣を炎上させ、山里丸に鉄砲を打ちこむ。 徳川方の答えを知った豊臣方は・・・ 最後に淀は琵琶の海を思い出し。そして自害する。46歳。 そして秀頼も自害。23歳。 母・市の美貌と性格を色濃く受け継いだと言われている淀。 その気性の激しさを受け継いだ彼女は、最後まで豊臣のために、秀頼のために戦う道を選んだ。 戸が閉まる時、市の回想が描かれ、それと対として描いていたのはよかった。 宮沢りえさん、新しい淀を描いてくれてありがとう。 そしてお疲れ様!
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