関ヶ原の戦い、終幕。
京極高次は西軍をおびき寄せ、足止めしていた功をたたえられ、若狭8万5000石を送られる。 とはいっても家康には恐れ多かったらしく、下山を何度もためらっていたようだ。 やはり風見鶏的な態度が自分にとってもまずいと考えたからだろうか。 その知らせを、初は毅然とした態度で応対する。 彼女自身も戦に巻き込まれていたからねえ。 片や秀忠は、戦勝祝いと合戦に遅れたことの弁明を家康に求めたが、3日間応対しなかった。 到着に遅れたことを江は笑っていたが、いささか笑っていいものだろうか。 『秀忠らしい』と言われてもねえ。 いやいや戦に参加していたから、当然の帰結、とでも言いたかったのだろうか。 「避けられた戦をしかけ、挙句何万の兵を減らした、自分で自分が情けない。」 という まあ、家康らしい。 石田三成はその後、とらえられ尋問された挙句、最後は小西行長、安国寺恵慶と処刑される。 辞世:筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり 寺のお茶くみから、秀吉側近にまで出世した三成。 「かの仁、当時、肝心の人にて、なかなか申すに及ばず。大かた心得にて候(大いに気を使う)」(毛利輝元) と言われたほどだから、かなりの出世である。 三成の居城・佐和山城も陥落。この時に武将達がそろって金銀財宝を求めて駆け寄ったというが、金目のものは何一つなかったという。 さて、秀忠は別の女に手をかけ、男子を産ませる。 跡継ぎが生まれたということで大喜びする大姥局だが、江はショックで引き籠ってしまう。 当時としては家と男を残すことが、孝と言われてましたからね。 とはいえ、秀忠の愛に満たされていた江はショックだったんだろうな。 秀忠、結局その側室と子供を城から追い出し、資金だけ送るという結論になった。 江を思っての結論だったらしいが・・・。 江は今度自分に男が生まれなかった場合、離縁を頼む。 やはり打たれ弱いところはあるらしい。 でもまあ、和解したのだからいいのかも。 この時生まれた勝姫は、後に結城秀康の長男・松平忠直に嫁いだものの、気の強い性格が災いして、後に勝姫の孫の国姫(光長の娘)の嫁ぎ先である福井藩の松平光通の後継者問題に光長と共に介入、結果、光通と国姫が共に自殺するという悲劇を招いた。 大野治長は関ヶ原で東軍につきながら、大坂の陣では最後まで豊臣に味方し、最後は自害する。 忠臣ではあるらしい。 これから彼が淀と江の中を割くのだろうか。 今回のおまけ 綾瀬はるか -再来年の大河ドラマは「八重の桜」
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