いよいよ関ヶ原当日。
蛙が鳴き、池に飛び込む。 そんななかで、大姥局は防犯と火の用心。 ある意味では何気に、奥さんの鑑というべきなのかもしれない。 人質に取られることを拒んで自害したガラシャ。 これを機に、細川忠興が東軍に着き、人質にとらわれただいみょうはほとんどが西軍につき・・・。 といったところだろう。 勢力はほぼ二分(記録によって東軍・西軍の勢力は諸説あるが。) 天下分け目の決戦を、冷めた目で見る秀忠。 今回の家康は、何を考えているかわからない一面がある。 江には人あたりのいい一面を見せ、淀や武断派武将には忠臣の一面を見せ・・・と、ある意味様々な人格を使い分けている。 現実の人間に一番近い。 加えて武断派武将は、福島正則をはじめとして勇猛ではあるが単純な武将が少なくなかった。 彼らをけむに巻くのは簡単だったろう。 久々の登場の秀忠の兄・結城秀康。 とはいえ、家康にうとまれ秀吉の養子になったとは以前書いた。 冷遇された兄を見つめていれば、秀忠がシニカルになるのも当然か、と改めて思う。 関ヶ原の7年後に秀康は、34歳の若さで世を去る。 梅毒だったと言われているが、今までのストレスが多かったのも確かだろう。 いつの時代も風見鶏は多い。 京極高次も初に『豊臣にも徳川にも敵対してほしくない。両方に味方してほしい。』と言われた。 史実では西軍に嫡男を人質として送りつつ、西軍の動向を東軍に伝える・・・と言ったどっちつかずの対応を取って来ている。 実際に初の懇願があったどうかは不明だが、右往左往していたのは確かだろう。 最後は大津城に戻り、西軍を迎え撃つ決意を固める…。 関ヶ原直前、西軍に降伏し、頭をそる行為までしたのだから、結果的にはまずい選択だったのだろうが・・・。 何が幸いするか、何が災いするかはいつの時代もわからない。 秀忠は上田城攻めを行うが、真田に阻まれる。 戦術となると真田政幸・幸村親子にかなうわけがないか・・・。 大津籠城戦では多勢に無勢、劣勢に立たされる高次 降伏することを決めた高次。 個人的には自害しようとする高次を、初が止める、というシーンがあるとよかったんだけど。 後に残党と共に園城寺で剃髪し、9月15日(関ヶ原勃発)に高野山へ入る。 幸いなことに、それが西軍の勢力をそぐ結果になるのだから、本当に何が幸いするかわからない。 秀忠は武将らしくもなく落馬し、うつろな笑いをあげる。 今回のおまけ NHK大河ドラマ 「江~姫たちの戦国~」江紀行 詩る。手の鳴る宝へ。
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