秀忠とすっかり打ち解け、離縁を願う文も破り捨てる江。
それはそれでよいのか。 しかしながら家康と話す秀吉と再会してしまい、あっという間に不快に。 見舞いに来たらしい。 まあ、人たらしらしい気づかいではあるんだけど、厭味ったらしい口調だなあ。 「わしとは江は口を聞かぬ」と言ったり・・・。 「拾が成人するまで生きたい」という秀吉だが、 その体は完全に病にむしばまれていた・・・。 すっかり家康の側近と化した本多正信。 それでも洞察力はなかなかのもので、秀吉亡き後の行動を考えるように勧める。 ごもっともである。 慶長の役勃発。 秀吉が明国王に『日本の国王 明の属国』と言われて切れたのが原因らしい。 まあ、ここでも秀吉の耄碌ップりがうかがえるが・・・。 側近・三成は唯々諾々と出兵の準備。 使われる武将からすれば三成を『へいくわい者(横柄者)』と呼ぶのも無理ないか。 そして、江に妊娠が発覚。 「気が重い」と言う江に『重いのはお腹では』という乳母。 上手いこと言わんでいい。 秀忠は『女子だといい』という。 まあ、当時の男性も女性も大変だったのだろう。 男性は後継者としてスパルタ教育を施されるか、戦の前線に出されるか。 女も政略結婚等で大名の駒にされる。 本当に江は子だくさんだったようで、『東洋のマリア・テレジア』と呼ばれるのも無理ないか。 もっとも、子供が数奇で悲劇的な運命をたどるのも似ているようで・・・。 (千姫も、マリア・テレジアの娘であるマリー・アントワネットもしかり。) 江が娘を生み、彼女は千姫と名付けられる。 竹千代の字から取った、と秀忠はごまかすが、その可愛がりようはすごい。 人間味はあるわけだ。ツンデレか? にもかかわらず、家康は千を秀頼の嫁に出したいと言い出す。 実際に出されるのは関ヶ原の後、秀頼13歳、千姫8歳のときなのだが・・・。 なんのことやら。 慶長の役の戦況が芳しくないので、秀吉は醍醐寺に行き、盛大に花見を催す。 ドラマでは能を舞っていたが、舞う途中で幻覚を見る。 桜の花びらが自分の手から飛んでいく幻覚を。 秀吉の死因はわかっていないが、脳梅毒とも、痢病とも言われている。 この頃には無意識のうちに失禁していたという。 なんとか家康に直談判し、合議制を承認させる。 更に初に近江6万石に与えるよう遺言する。 合議制に比べると地味な史実だが、浅井三姉妹をメインとしているからしょうがないか。 そして、 淀と共に、死の床の秀吉に会いに行く江。 仇がいつのまにやら大切な人になって行ったという淀。 それは秀吉の好色によるものだろうが、それでも不器用な優しさに魅かれていったのは確かだろう。 そして、江も。 『愛の反対は無関心』というマザー・テレサの言があるが、 まさに、『愛憎は表裏一体』ということだろうか。 江は、「自分から何もかもを奪ってきた」秀吉が憎いというが、 秀吉は、「江のおかげで楽しかった」という。 お互いに目の上のコブであったのは確かなのだろう。 そして、だからこそここまで来た。 江にかけた最後の言葉は、 「江、幸せになってくれ」 それは建て前か本音か。 それは誰にもわからない。 1598年(慶長3年)8月18日、豊臣秀吉没、享年62歳。 辞世:露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 今回のおまけ 俺の妹がこんなに可愛いわけがない 第12話 『俺の妹の人生相談がこれで終わるわけがない GOODEND』 幕末機関説 いろはにほへと 第12話『龍馬之言伝(りょうまのことづて)』
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