秀吉は子が出来にくい体質
と、以前に何回か書いた。 好色な秀吉が子の出来にくい体質というのも皮肉な話である。 それにしても相変わらず家族を大事にする秀吉。 やはりもともと百姓だったが故、苦労も大きかったからだろうか。 このころ、秀吉が天下をとる前後から、秀吉の人たらしの性格が鳴りを潜め、耄碌がひどくなっていく。 秀吉の子ではないと噂した群衆を殺害しようとし、それが見つからないと兵士を処刑。 さらに街を丸ごと焼き払う。 かなり残虐な行動が目立ち始める。 実際は今度生まれてくる子供(鶴松)が死んでから、朝鮮出兵、千利休・豊臣秀次処刑と残虐な行動をとるようになっていくのだが・・・。 残虐性を強調するためなのか。 淀城に移り住んだ茶々は、こののち、淀殿と呼ばれることになる。 そこで子を産むことになった。 秀吉も江も、対立はすれど、姉ないし妻の安産は望みらしい。 まさしく呉越同舟か。 さて、無事に出産した淀。 後にこの子は『捨』という名前をつけられる。 当時は、捨て子を拾って育てると丈夫に育つという迷信があったんだそうな。 初もわざわざやって来て、可愛がる。 いつの時代も赤子を思う心は変わらないのか。 さて、天下統一のために、秀吉は小田原・北条攻めを考える。 氏政・氏直親子は包囲されても、向こうの兵糧が切れると思いこんでいるようだが・・・。 やはり向こう傷の氏康の血は受け継がれなかったのか? そして、天下統一のため、鶴松のため、小田原に出兵を決意する秀吉。 家康は先陣を任され、利休に相談をする。 わびさびの精神を家康に伝える利休。 狭い所に三人いると、見た目は狭いが、むしろ心は広く感じる、とのこと。 逆説めくな。 そのあたりで秀吉とも考え方が、どんどん違ってきていて、わからなくもなって来ていた。 秀吉の最側近として様々な顔を見たがゆえに、かえって最も見えなくなってると言ったところだろうか。 灯台もと暗し。 最も近いものが、最も見えないということだろうか。 秀次は鶴松が生まれてからというもの、後継者からも外されて面白くない様子。 それがこののちの残虐な行為にむすびつくのだろうか。 淀殿は世継ぎを生んだ側室として、浅井長政・お市の供養を頼む。 秀吉は淀殿を本当に愛していたから、もう抵抗感はなかったのだろうな。 両親の肖像画は・・・多分役者をモデルに書いたのだろうな。 当時の肖像画という感じがしないもん。 改めて両親を理解する三姉妹だが、少し遠くに離れてしまったと思う江。 同じものを同じようにみることはできないようだ。 後に江の夫となる竹千代、後の徳川秀忠。 慎重な人柄だったらしいが、どうも今回は父を反面教師としているのか、多少ひねくれた性格。 なぜにこうなった? 兄の秀康の冷遇を見たがためか? はてさて、こんなんでおしどり夫婦ができあがるのだろうか。 今回のおまけ 遅ればせながら青と赤編。 俺の妹がこんなに可愛いわけがない 第3話『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』 幕末機関説 いろはにほへと 第3話『石鶴楼都々逸(せっかくろうどどいつ)』
スポンサーサイト
|
![]() |
![]() |
| ホーム |
|