『生きることの意味と価値について問いかけるようになると、我々は狂ってしまう。
なにしろ意味も価値も客観的に実在するものではないのだから。』 フロイト 高年齢出産で生まれた人は、ダウン症にかかりやすいという話は前々から聞いていた。 羊水検査を受ける母を持つ娘にとっては、人ごとではない。 同僚のダウン症観 『病気ではなく、遺伝子多型の一つ』 を聞いて反発する愛美だが、上司から 「それは自分の感情を混ぜた一方的な言い方。 編集者としては適さない。」 確かにね。 賛成意見と反対意見、両方の意見を理解してベストな結論を下すのが協調性がある決断。 ともあれ、やっぱり人ごとではないんだろうなあ。 人間の最も人間的な部分は感情だと聞いた。 次女は母の妊娠をタネに陰湿ないじめを受けて不登校になり、母の友人は母の妊娠を聞いて怒り、絶交状態に。 当然だろう。 中絶して、すべてなかったことにした方がいいのか。 それとも、生んだ方がいいのか。 医師は『新しい生命が生まれる前の苦しみ』 いわば産みの苦しみと言ったところなんだろうけど、やはり医師としての考え方であり、実際に家庭の状況を知らない人間の答えなような気がする。 苦しみは魂を強靭にする、というのは、それこそ本当の苦しみを知らない者の気休めでしかない。 腹を抱え、頭を抱え、それを乗り越えていくうちに自然と気付くものだと僕は思う。 僕自身が1ヵ月間、新人として仕事の励んでいるうちに気付いたこと。 二男の仲介で愛美はダウン症の子供と出会い、障害を持っていても、というより、障害をもろともせず、人懐っこく接する。 その中で、たとえ障害があってもこの世に生を受け、自分を生んでくれた人間に感謝する。 その中で、生命の重さに触れる愛美。 だが・・・どうなんだろう。 親に感謝し、生まれてくることを喜ぶのが心から来るなら、 躁状態で動き回り、抑うつ状態で動けなくなるのも心。 長男や長女のように、不安に押しつぶされ、怒りに荒れ狂うのも心。 障害を持って生まれ、周りの壁にぶつかり、その子は辛くなかろうか。 これから先、この一家と周りの人たちがどのような結論を出すのやら。 (とはいえ、これだけ話を広めるとまとまりがつかなくならないか? 来週折り返し地点だぞ。) 今回のおまけ GLAY / 逢いたい気持ち
スポンサーサイト
|
![]() |
![]() |
![]() |
| ホーム |
|