僕のような歴史好き・大河ドラマ好きにとっては無視できない金言に、
歴史にもしもはない or 歴史のもしもはタブー というのがある。 一般に後者が使われることが多いが、僕は前者の方を使っている。 「やり直せないから」 ということらしい。 この言に関して、Yahoo質問情報でこんな意見があった。 『この「歴史にもしもはない」というのは物凄い傲慢な、それこそエリート主義的な発想を感じます。 それこそ「歴史は我々学者が研究すべき高尚な学問で、下々の民衆が考える事ではないのだ」と言っているようにしか聞こえない。』 だが、本当にそうだろうか。僕は違うと思う。 『歴史にもしもはない』というのは、人間の『自分勝手なもしも』を戒めるための戒律なのではなかろうか。 例えば 『もしも坂本龍馬が近江屋で暗殺を免れていたらどうなるか?』 というIFを取り上げてみよう。 『もっと世の中良くなっていた』という考えも新聞の投稿で見かけた。 (ちなみに、黒鉄ヒロシのIF漫画はかなりぶっ飛んでいます。) 僕の考えは全然違っていて。 僕は『遅かれ早かれ龍馬は殺されていた。』 龍馬は幕府に建て着いたかと思えば、薩長の考えとも一線を画して幕府との妥協案の『大政奉還』に踏み切った。 だから多くの人から恨まれていた。 仮に近江屋で暗殺を免れていたとしても、第二・第三の暗殺者が現れて寝首を掻かれていたと思う。 これは一例だが、『もしも』というのは、作ろうと思えばいくらでも作れてしまう。 それだけじゃない。 これは歴史に限らず、勉強でも仕事でも恋愛でもそうなんだけど、 人は自分に都合のいいことしか想像しない傾向がある。 勉強や仕事だったら、早晩現実を知る時が来るんだけど、(逆を言うとこの時、己が胆力が試される) 歴史だったら、いったん思いこんだら人間、それが正しいと思ってしまう。 自分勝手な『歴史のIF』を戒めるためにも、 『歴史にもしもはない』 という言葉は必要だと思うし、そういう意味では金言だと思う。 今回のおまけ 中島みゆき 『旅人のうた』
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