時は今 天が下しる 五月かな
明智光秀が本能寺の変を起こす前に愛宕神社に奉納したという句。 時、つまり明智の祖先である土岐源氏の意味。 天が下しる、の意味には諸説あって、『天下をとる』とも、『天皇が天下を治める』という意味とも言われている。 『五月』は源頼政らによる以仁王の乱、後鳥羽上皇の承久の乱、後醍醐天皇や足利高氏らによる元弘の乱が起こった月であり、いずれも桓武平氏(平家・北条氏)を倒すための戦いであったことから、平氏を称していた信長を討つ意志を表しているとされる(津田勇氏)。 光秀が本能寺の変をおこした理由は諸説ある。 恨みによる犯行、天下をとる野望を抱いた、裏で操った黒幕がいた、ノイローゼにかかっていた等々。 今回は通説と同じように、恨みによる犯行で、天下取りの野望はその後から来たような感じか。 今までの所領を召し上げられ、毛利がおさめる備後を領地にするよう言われた時、相当な恨みができたのは確かだろう。 もともと光秀は地元では名君として慕われていたし、家臣もしたがっていたから。(しかも武市半平太と同じ愛妻家だった) 彼らを路頭に迷わせるのが辛いのであったのだろう。 更に信長は、あえて自分と息子信忠の手勢を手薄にし「攻められるものなら攻めてみよ」という。 何故こう言ったのだろう。 自分に反感を持つ光秀に、あえてあけっぴろげの姿を見せることで、見習わせようとしていたのか。 これは史実においても奇妙な謎と言われている。 49年如才のない行動をとっていたが、思わぬところでわきが開いてしまったのだろうか。 信長は今回のドラマでは『期待していたからこそ光秀をしかる。』と森蘭丸にこぼしていた。 ちょっと説得力のない台詞だが、実際信長が光秀を高く評価していたのは事実だったようで、信長公記によれば、 天正七年の丹波国平定で、 「日向守(光秀)、こたびの働き天下に面目を施し候」 という感謝状を贈っている。 文化人でもあり、部下からも領民からも慕われる彼だからだろう。 本能寺の変で襲撃を受けた信長は、自分の死体を光秀にさらすなと側近たちにいい伝え、光のさす方へ、炎の中に消えていく。 死ぬる今わの際に江の幻影が出るというのが奇妙だったが、まあ主人公だからな。 信長に会うために京にいた江は、居合わせた家康と共に混乱した京を脱出する。 戦続きだと治安が悪くなるのは世の常らしく、物盗りにあう江だが、信長の亡霊の力で馬を乗りこなして脱出する。 冒頭で馬を乗りこなせない江を描いたのはこのためだったか。 さながら、伯父である信長の遺志を受け継いで、江は成長するというくだりを描きたかったのか。 P.S.茶々はもう少し気性の激しいイメージがあったんだけど、今回は物静か。 まあ、長女だからね。 今回のおまけ 大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」の江、ゆるキャラで剣をもって大暴れ
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