今回の大河ドラマのオープニングはなかなかの出来。
静から動へとでもいうべき音楽の展開や、途中でテンポが変わるというのも。 『篤姫』と『利家とまつ』を足して二で割ったような感じか。 それにしても今回、三姉妹のキャラわけがうまくされていたのが良い感じ。 物静かで穏やか、でも芯はしっかりと持つ長女・茶々 喜怒哀楽が激しく、気の強い次女・初 そして自由奔放で物おじしない三女・江 江の場合、天真爛漫すぎて周りがまだ読めないのが欠点か。 それにしても当時は6歳の江。上野樹里が演じるにはちと無理があると思うが、まあいいか。 父の死の真相を知らなかった江。 江にとっては信長は、天下人であり、伯父であり、 えらいひと だったのだろう。 それが今回、父が信長によって自害に追い込まれたと聞いて、一つの葛藤が生じると。 信長への憎しみを見せる初と、見せない茶々。 双方幼心に自分の住んでいた城が燃え、父がその中で死んでいったのがトラウマになっていたのか。 二人とも、比叡山の僧俗男女を皆殺しにし、長政の首を酒の肴に宴を開いていた信長を、蛇蝎のように、憎んでいたようだ。 それは母・市も同じだったようで、安土城で会った信長に皮肉をぶつける。 ともあれ、信長にはスパイとしての務めを果たさなかった市に対する恨みはちょっと感じられなかった。 慣れっこになっているのか。 さて、事実を知った江は、信長に深夜、逢いに行く。 気になっていた質問をぶちまける。 妙なものだ。物言えば唇寒し、という感性は、まだ幼い江にはなかったのか。 豪胆な江に、信長は自分の極悪非道ともとれる所業を行うわけをすべて話す。 寺と相対しているのは、来世の極楽浄土をより所としながら、政に口を出すから。 長政の首を肴に宴を開いていたのは、死者に対する褒めと餞のため。 ・・・前者はともかく後者は苦しくないかとも思ったが。 敵将の首を肴に宴会を開く、というのは八犬伝でも水滸伝でもあるエピソードで(水滸伝に至っては、本当に敵将の首を食べている。) むしろ敵の悲惨な姿を笑って眺めるのは当たり前の行為だったと思えるが・・・。 まあ、幼い江は真に受けるか。 同時に信長は『私が信じているのは己だけ』と話す。 信長のみならず、いつの時代も権力者というのは常に孤独なのであろう。 追従・妬み・嫉み・諂い、そういう人間の負の情が渦巻く中で、信じられるのは自分の信念だけ、というのも無理はない気がする。 まして異端児・織田信長である。 それに信長が耐えていけたのは、やはり天下布武、つまり『自分が天下を取る、そのためには手段を選ばない』というのを唯一の『正義』としたためだろうか。 そのためには邪魔者は仏教だろうと徹底的に排除し、一方でキリスト教のように、使える勢力は利用するだけ利用する。 優秀な部下は使うだけ使い、一方で佐久間信盛のような不要な部下は容赦なく追放する。 そして、『お前も自分の信じる道をいけ』と諭す信長。 これは篤姫で島津斉彬が篤姫に諭した『薩摩と幕府が対立するかもしれないが、その時はおのが信ずる道を行け』という台詞とも似ている気がする。 僕もまた社会人となり、いろいろな大人にもまれたり失敗することもあるだろうけど、『自分だけを信じ、自分の信じた道を歩き』たいと思っている。 いろいろ迷ったり、弱音を吐いたりすることはあっても、最終的には『自分の感性と理性にしたがい決めて』行きたいと思っている。 それが出来たら、の話だが。 さて、ムードメーカーとして名高い羽柴秀吉。 なんだけど、江の目の前で自分が長政を自害に追いやったと暴露して柴田勝家(武骨だが人の心がわかる、という設定のようだ)に殴られる羽目に。 謝るべきは謝るべきなんだろうけど、ちょっとタイミングがまずいって。 どうも今回は人たらしの性格が、却ってその場のムードを悪くしている感じがするんだよなあ。 信長のもとへ向かう江の見張りをするあたり、根はやさしい奴なんだろうけど。 今回のおまけ NHK大河ドラマ 江 メイン・テーマ
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