さまざまなブログを見ていると、『ゴーマニズム宣言をジャーナリスティックな本として読んでいた』という投稿が多々あることに気がつきます。 それはなぜでしょうか? 小林よしのり氏自身はジャーナリストを自称していないんですよね。 ただ、現場で部落差別や薬害エイズの情報を発信しつつ、川田龍平さんや小森義邦氏と言った重鎮とも知り合ったのですから、その面はあると思う。 ただ、敵対する人間を醜く描くところがあるからな。 (主人公の小林氏もかっこよく描かれすぎ、と言う批判もあったし、まあ第6巻で開き直ったような発言しているけれど。) そういった欠点があるにもかかわらず、多くの人たちがジャーナリスティックな本として読んでいったのはやはり、この啖呵があるからでしょうね。 「わしが選択した、見た、感じたエピソードが本物だからだ!これこそシラケ主義的なニヒリズムから脱却する方法だ!」 そしてなにより、判りやすい。 例えば第6巻で、自民党と社会党(現・社民党)の野合による村山内閣が誕生したことを取り上げたときも、 『野合』を『花いちもんめ』とわかりやすく、なおかつ面白おかしく表現しているし。 だからこそ、難しい本などを嫌う若者達をひきつけたのではないかと。 劇辛評論家・佐高信氏 後に破防法問題や歴史問題などで対立する佐高信氏ともこの頃会います。 佐高氏が小林氏に対談を求めたということからも、一目おいていたということがわかりますし、小林氏も反抗精神の点で好感を持っていた。 『愚民に優しい』『社会の母親』と言っていますし。 (ただし、『彼は社会主義を捨ててないようだが、理想の選択の向きが間違ってないかは疑問』ともいっていますが。) ![]() 対立が激化したのは、『噂の真相』が小林氏を取り上げた頃からでしょうね。 別の機会で詳説しますが、これで小林氏は『おぼっちゃまくん』時代からの片腕であった末永秘書を失ってしまうわけですからね。 かたや佐高氏はこの雑誌のジャーナリズムには一目置いていたようで『噂の真相を立てれば小林氏が立たず、小林氏を立てれば噂の真相が立たず』と言っていたよう。 この煮え切らない態度を小林氏に批判され、対立が激化したようです。 ただ調べてみると、佐高氏も激辛評論家と言われるだけあって、結構あくの強い人柄のよう。 現場で問題に取り組んでいるところも、小林氏に似ているかもしれない。 今は雨宮さんと組んで、非正規労働者や正社員のストライキに混じることがあるようですが。 石原慎太郎氏との対談 『人気絶頂期に小林氏は出馬してもよかったんじゃ?』と思ったことがありました。 この疑問はこの巻で答えてくれています。 「時代を変えようとする時に、制度から変えるか人心から変えるかと聞かれたら、人心から変える方を選ぶ。漫画は相当威力があるだろう」 とのこと。 そんな折に入った石原慎太郎氏(当時は国会議員)との対談で 「わしは漫画家としてナンバーワンになりたい男(『ベストセラー1位でなきゃ駄目』ともいっているし。) しかしもし政治家になるとしたら、権力者、いや独裁者こそが理想だ!!」 とも言っています。 そういえば第2巻の金丸信の独白でも 「政治家になって、権力を握って、国を動かすことなくして何の意味がある!?」 と書かれてあるから、これは小林氏の政治家観と言えるかも。 ところで、石原氏はというと 「自分の設計どおりにものが動いていれば、黒子でもかまわない。」とか。 まあ、バランスが大事なんでしょうね。哲学と上昇志向と。 ともあれ、『大なり小なり自分自身がかかっているのが本当のメッセージ』と言う意見は合ったようで・・・。 そういう意味ではネットの書き込みはやっぱり本当のメッセージといえないのかもしれない。 顔が見えないし。 この頃手にしたのか、『凶器』は!? この巻では当時売れっ子だった保守派論客・西部邁氏の悪口を書きまくった『祐木奈江より西部邁をいじめろ!』ものっけてあります。 当時『朝まで生テレビ』という討論番組が最盛期で、西部氏はしばしば出演して、衆愚論・国際貢献・平和ボケ論者批判を述べていたよう。 もともと小林氏は西部氏に好意を持っていなかったようで、しばしば醜く描いているようですが、今回は極め付きと言いましょうか。 (その後仲良くなったり対立したりしているようですが。) ![]() 上杉聡氏はこの手法を『凶器』といっています。 まあある人によれば、エンターテイナーとしての手法ともいわれていますが。 実際この話を載せたとき、批判はあった。(同巻で) >『こういった絵を描くのは批判ではなく、人を馬鹿にして笑って楽しむだけのものである。正当な攻撃ではなく明らかに描いたほうが悪い』ただ小林氏は 『今回は彼の宣伝にもなっていたのではないか』 『もはやニシベは漫画のキャラとして独立している』 『西部自身の天性の道化の才能をよしりん(小林氏の愛称)が引き出した』 と言うコメントも載せ 『頭の固い器量の狭い奴』『ホモでもないのに過剰にヒスを起こす、衆愚リアリズムな愚民』と言ってしまっていますが・・・。 多くの若い人たちは、西部氏を知識人としてではなく、タレントとしてみていたと言うことか? これを書くことになったきっかけは、西部氏が漫画を読まないと知ったことと、若者のこんな投書らしい。 『西部さんは子供の感性のまま大人になった人、人間のいんちきさがわかるから平和主義者批判をしているのだ』 『西部氏の言っていることはわかるし結構好きなのだが、攻撃されるのを見るのも好き。 彼は攻撃されるにふさわしい。(中略)彼の言っていることはすぐに抑圧に結びつきそうだから、それを相対化することが大事。』 ・・・なんというか、愛情の裏返しでいじめる・攻撃するということか? 知識人の西部氏だからこそ、弱点を見つけてみたいと言う心理が多くの若い人にあったのでしょうか。 15年経った今でも、特に若い人たちにそういうところがあるからな。(『いじる』というらしいが) 僕も内向的だけど、結構かまわれてるもん。 多分そういう心理を持った人たちをとがめてもやはり、 『頭の固い器量の狭い奴』 等と陰口をたたかれるのがオチなのでしょうなァ・・・。 今回のおまけ おぼっちゃまくん『黄金週間びんぼツアー』
スポンサーサイト
|
||
![]() |
--- 承認待ちコメント ---
このコメントは管理者の承認待ちです
*
[編集] 【 2018/04/21 22:35 】
![]() |
![]() |
![]() |
| ホーム |
|