晩年の狂気じみた秀吉の人格が現れたのは、息子の鶴松を病で失ったときとも、弟の秀長が病死したときとも、淀殿妊娠を大仏の功徳と嘲笑されたときとも言われているが、今回は関白となって天下人になったとき、ということになっているようだ。
僕自身は秀長を失った時と考えているが。 関白になってから着々と九州攻めを進めてくる秀吉。 天下惣無事のスローガンに合わせるように、九州大名の本領安堵をしてくる。 官兵衛はその手足として働いているようだが、秀吉に受け入れられない彼は気持ちはいかばかりだったか。 女好きの秀吉がお市の血を引いた美しい淀殿に惹かれたのは当然か。 今回淀殿が秀吉の懐に飛び込んだのは、道薫こと荒木村重に影響されたからだとか。 化け物と称された道薫のように、化け物のように生きたいということらしいが・・・。 やはり両親を失った今、身寄りがなかったからかもしれない。 早速黒田の家族には調子のいいことを言って早速九州に出陣する秀吉。 まだまだ人使いの天才らしいところは残っているらしい。 ともあれ、石田三成とは相変わらず対立が続いているようで。 奉行派と武断派との対立はこの時から変わってないようである。 結局官兵衛の指示通り、島津の領地を安堵することになった。 なんだかんだ言っても官兵衛の意見は結構採用されてるのね。 一方でキリスト教に関して警戒を強める秀吉。 表向きでは笑っていても、心の奥底では警戒していたようだ。 ただでさえキリスト教の教えは、封建社会の倫理の妨げになっていたからねえ。 そして高山右近にキリシタンを捨てるという命令が下る。 一方で右近は信心を捨てないと決意する。 そして結局マニラに追放されてしまうわけか。切ない。 そして秀吉を説得しようとするも、逆に伴天連追放令を見せられる官兵衛。 キリスト教徒が結束して反乱を起こすことを恐れて・・・ということらしいが、のちに島原の乱が伴天連反乱軍となるわけだけど。 そして姫路から北九州に左遷されてしまうのだが・・・。
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