室町幕府は応仁の乱以降、完璧に権威が失墜していたのだが・・・。
それにまつわる管領などの大名たちも没落していくのがほとんどだった。 管領家の直系・細川晴元は三好長慶に敗れて凋落し、守護大名であった今川義元も織田信長に討たれている。 周りの者も意にならない足利家の人間が苛立っているのも当然か。 ともあれ、足利義秋、出家しているなら頭が禿げあがっているはずでは・・・? はげと言えば今回初登場した明智光秀も信長から『キンカ(禿)頭』と呼ばれていたが、今回はそれほど額は広くないような。 (『光秀』の字を分解すると『禿』となることから、信長なりの洒落だったという説もあるし。) いまだにおたつの死から立ち直れない官兵衛。 そんなおり、上司の小寺政職から政略結婚の話が。 どうやら幼い嫡男の行方が心配で、官兵衛を親戚の娘婿にしようという思惑らしい。 もっとも官兵衛はこの時、のちに妻となる光(てる)と会っているのだが・・・。 封建社会の中では妻をめとり(あるいは婿養子となり)、家と子を残すのが大事だからねえ。 22歳で職隆に家督を譲られ(ちなみに伊達政宗が家督を譲られたのは18歳の時)、より責任も大きくなったわけだ。 一方、信長のもとでは木下藤吉郎がその才能を発揮させてきたようで。 墨俣一夜城はフィクションの可能性が高いといわれているが、斎藤龍興討伐に重大な役割を果たしたのは確かだろう。 この時に信長方に使えることになった軍師が竹中半兵衛。 冷静というより冷徹といった感じだが、確かに腹の中がわからぬ感がある。 『天下布武』 これが信長の出したスローガン。 冷めた感じで受け取る半兵衛だが、官兵衛は結構興奮気味。 小寺にもそれを進めてみるが、そう簡単に譲るわけがない。 まだまだ官兵衛も若いです。 この時の官兵衛は評判はかなり悪かったらしく、やんちゃな若者という下馬評だったらしい。 力は官兵衛に嫁ぐのが嫌で自害しようとしたけど、妹の光はすぐに見抜く。 なかなかの聡明ぶりだったらしい。 てなわけで、官兵衛と小寺家のつながりは、光をめとることでさらに強くなり、官兵衛は家老となるのでありますが・・・。 双方意向が違っていたために、多少戸惑う官兵衛。 ともあれ深層下では気になっていたんだからよかったのかもねえ。
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