泣いても笑っても、函館百景はここで最終回。
・・・とはいうものの、最後まで淡々とした感じになっちゃったなあ。 つかみは割と自信があったんだけど。 一眼レフの初陣で、写真は記念すべきものではあったんだけどね。 今回のおまけは今回はこのあたりに持ってきます。 函館百景のテーマソングということで(勝手に決めるな) リチャード・クレイダーマン『午後の旅立ち』 ほかに『マホガニーのテーマ』とか、『木漏れ日の部屋』も考えていたけど。 とにもかくにも、荒削りの作品の一つが完成したから、とりあえずよかった。 書き終えると寂しいけど。 現在はジブリ美術館の旅行記でリベンジを考えているところ。(予定。とはいえ二番煎じになるなあ。) てなわけで、函館百景最終回、文章・映像ともども楽しんでください。 ****************************************************************************************************** 朝起きて、ホテルの窓を眺めると、快晴。 またも暑そうである。 避暑の意味、全然なかったとでも言えようか。 掛け布団である白い布がひっくり返っている。 寝相が悪いのは相変わらずらしい。 急いで着替え、荷物を全部持って下に降りると、朝の食事はすでに準備できていた。 バイキングである。 食べられれば何でもよかった。 が、朝はクロワッサンがメインで、コメはどちらかというと陰に隠れがちなメニュー。 種類の多さに惹かれてパンを選んでしまった。 外はさくり、中はふんわりといった感じで、理想的なパン料理だったが(まあユダヤ系のパンは酵母のないパンが良いものとされているし、人それぞれか。)、少々食べすぎて、その後のひねりだしに時間がかかって大変だった。 自分には『バイキングの楽しみは、たらふく食べること』という達観があり、今回もそれに従って、腹がパンパンになるまで食べた。癖である。だから食堂からトイレまで、ちょっと腹が重くて大変だった。 比較的すっきりしてきたので、朝日が差し込み、明るくなった銀の受付で、チェックアウトをした。 とはいっても、ごく普通の態度で、あまり印象にない。 北海道の朝を味わうのは初めて。 ただ僕の頭の中は、五稜郭に行った後、特急で札幌まで行くというプランが既にできている。 ![]() 正午には函館駅を出てしまうため、その次の五稜郭駅で乗ろうかとも考えていた。 ところが、五稜郭からJR五稜郭駅までは歩いても30分以上かかり、経由するバスの本数も少ないという。 仕方がないから五稜郭に行った後、引き返して札幌駅で特急に乗ることにした。 ![]() 函館の商店街を通って北に行き、五稜郭公園に行けばたどりつける。 地図で確認した限りはそうだったが、それは長い長い。 郡山の街並みを通った時がそうだったように、くすんだ高層ビルが幾度も続き、いつ歩き終えるのか、と不安であった。 日帰り旅行は何べんもしてきたので、歩くうえで持久力の自信はあったのだが、それを見事に砕かれた感じである。 ホテルからおよそ20分。 バーガーショップを通り過ぎて、やっと五稜郭に到着した。 ![]() ![]() もともと西洋の城郭を意識しただけあって、堀の形も特殊といえる。 橋から見ると、普通の堀に見えるが。 ![]() こういう場合、展望台から登って俯瞰するに限る。 一旦展望台の入り口を通りすぎ、なかの植物園とも思しき、草木が周りに茂っていく場所を通る。 土方歳三の銅像。 写真よりも老けた顔。 ![]() 挙句雨が酸を帯びていたのか、銅像が溶けたかのような跡がところどころ残っている。 かっこも何もあったもんじゃない。 いったん外へ出て、それから五稜郭の中心部へと行く。 整地されているが、そこには草っぱらと砂利道ばかり。 そのまま歩いて行く。 そこには、2010年にオープンしたばかりの、箱館奉行所がある。 ![]() もちろん、箱館奉行所は現地の行政や防衛などを司っていた。1864年に落成したこの建物は、箱館戦争で旧幕府軍の拠点となり、明治になってから解体された。 今回再建された奉行所がレプリカである以上、ある意味想像の産物でしかないが、それでも中に入ると意外に密度が濃く、1時間ほど費やしてしまった。 小ぢんまりとした外見に合わない、濃い展示物をセットしていたようだ。 もちろん中は当時と異なって電気が通っており、歩きやすくなってはいる。それでも靴下で歩くと滑りやすい。 トイレもそれらしく作っている。 ![]() つややかな檜の床で足を滑らせないようにしながら、ゆっくりと歩いて行った。 ![]() 達筆な掛け軸はもちろんレプリカだが、御家人の身分を金で買った榎本武明の教養をうかがわせる。 ![]() 『四稜郭』は五稜郭のミニサイズといった感じだが、総攻撃の際あっという間に陥落したという。 いつかその跡地にも行けるだろうか。 ![]() 当時の大砲もセットしてある。 ![]() その後で長い道のりを戻り、函館展望台へと急ぐ。 なにしろ時間がないのである。 目玉はこっちだ。 そこから五稜郭を俯瞰してみる。 おまけに高いところが好きなのである。 展望台へ行くまでのエレベーターは、締め切っていて窓が見えない仕組みになっている。 移動中は照明を暗くし、榎本武明や大鳥敬介、土方歳三と行った北海道共和国の重鎮の写真が移る。 ![]() 郡山駅近くの展望台に行ったことはあるが、あそこはエレベーター移動時の音がうるさくてかなわなかった。それに比べると静かだが、幻想的・・・というにはほど遠い。 ![]() それに一時ではある。 展望台から見える景色の方が、絵にはなる気がした。 展望台は五稜郭の中ではなく、外に設置されているため、五稜郭の全景がすべてみてとれた。 綺麗な星型である。 ![]() 誰が設計したのかは不明だが(もちろん外国人をブレーンにして、榎本武明が設計したんだろうが)、随分と美しく仕上げるものである。 展望台はご多分にもれず、円形上の作りになっており、そこから周りの景色が見れるようになっている。 そこには展示物をおいてある。 箱館共和国の人々と、箱館奉行所の人々、さらには五稜郭の戦などを描いたミニチュア。 外の景色に比べると華がないが、それでも良く見ておいて、撮るに限る。 ![]() 観覧料1000円を無駄にしないと決め込んでいて、なるべく元手を取りたいと思っていた。 それから、周りの景色を見てみる。 内陸もいい。 だが、広がっていく海が、のちの横浜旅行でも自分の心の琴線に触れるのだが、函館東部の海もしかり。 海が、奥に半島が、広がっていく世界を見せている。 ![]() 遠くへと旅立ちたい。 そして、見知らぬ様々な景色を見てみたい。 これが自分の生きがいと、生きた証になる気がして。 その第一歩として、函館を選んだ。 海が見られただけでも、よかった気がする。 でもそれ以上に、函館の街並みが見られたのがうれしい。 ふと、太宰治の『雪の夜の話』のフレーズが浮かんだ。 「人間の目玉は、風景を蓄えておくことができると、兄さんが教えてくださった。」 現実の人間も、蓄えられるだろうか。 死ぬまで蓄えられるだろうか。 自分は写真と景色を通じて、生きた証を求める。 飛ぶが如く。 この写真が、函館最後の手土産である。 こういうのをなんというか。 翔ぶが如く。 ![]() 翔ぶが如く。 日常から出て、親からも仕事からも離れて、函館へ行く。 函館から出立し、その後札幌へ行って帰り、またいつもの日常へ戻る。 自分と同じである。 函館を旅立つ電車に乗る直前、妙にさびしい気分になった。 いつかまた、この地に来ることはあるだろうが。 その時のために、函館中心の景色はすりこんでおくに限る。 函館さん、さようなら、お世話になりました。 パシャリ。 ![]() 駅前のキオスクでジャンプを読み、『銀魂』を読んだが、コンテが荒い荒い。 函館の百景とは正反対なような気がした。 やがて特急車両が来る。 ![]() 目玉に函館の風景を蓄えて、空色の電車に乗って、僕は函館を後にした。 出発した車窓からの函館の景色は、東北の街並みと変わっていない。 が、特製ある街並みといえた。 了。
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