『祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ』 平家物語 平家物語はこのくだりの後、栄華を極め横暴を極めた人物として、 平将門、藤原純友、源義親、藤原信頼、 そして来年の大河ドラマの主人公、平清盛をあげている。 『平家物語』に代表されるように、今まで清盛は極悪非道の人物として描かれてきた。 では、実際の清盛はどんな人物だったのだろうか。 今まで描かれていた清盛の人物像としては、この2つがあると思う。 ①『平氏にあらずんば人にあらず』を絵に描いたような極悪非道の人物 ②穏やかで気のいい人、早すぎた改革者 ①として描いたのはもちろん、平家物語があげられる。 (ただし太政大臣に出世するまでは、忠実で信仰篤い人物として描かれているが) 白拍子の放逐、朝廷に対する横暴、鹿ヶ谷事件の首謀者への処罰・・・とあげるときりがない。 平家物語があまりに有名なため、どちらかというとこれがステレオタイプだが、最近はフィクションという見方が強い。 最近の研究では、②の人物像がむしろ強く、 『よくよく謹みて、いみじく計らひて、彼方此方しける』 吾妻鏡 「人がとんでもない不都合な振る舞いをしても、冗談と思うことにした」 「やったことがちっともおかしくなくても、相手への労わりとしてにこやかに笑い、とんでもない誤りをしても、役立たずと声を荒らげることはない」 十訓抄 僕が以前読んだ書物では、平治の乱で討ち取った頼朝の子供(頼朝や義経)を助けたというエピソードと、頼朝が弟の義経を殺し、その赤ん坊ですら殺した冷酷さを比較している。 (もっとも清盛の行動が、皮肉にも平家を滅ぼすことになるのだが。) 評判が悪くなったのは、当時の重大な勢力であった仏教勢力を敵に回したから、といわれている。 東大寺を焼き討ちしたり、興福寺や園城寺に総攻撃をかけたことは、仏教勢力のみならず、当時の民衆からも批判が多かったと言われている。 (これは後の頼朝の政権においても、僧兵を擁しない禅宗や念仏宗の保護といった穏健化した形で受け継がれていく。) 『源平盛衰記』では僧侶の祈祷によって雨を降らせた事を偶然に過ぎないと一蹴したり、経が島では清盛が人柱を廃止したという伝説がある。 開明的なところは少なからずあったのだろう。 それゆえに朝廷や保守派からの反発も強かったと思うが・・・。 加えて平重盛のような有能な人材が早死にしてしまったことも、滅亡を早めた原因と言えるだろう。 今度の大河ドラマは、平清盛をどう描くか。 楽しみである。 今回のおまけ 大河ドラマ 平清盛 予告
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