竹千代と江・秀忠。千姫と秀忠。
二人の距離は一向に縮まらない。 秀忠は『自分もそうだったかもしれない』というが、 当時としては家光12歳、千姫19歳。 まあ思春期であり、反抗期でもあろう。 とはいえ、千姫はともかく家光に感情移入しにくいのが難点。 かたや国松は人懐っこく親に接している。 ひょっとすると、国松との仲に嫉妬していたのかもしれない。 駿府で病に倒れた家康、 俗説としては鯛の天ぷら(最初で最後の贅沢と言われている)を食べたことによる食中毒と言われているが、鯛の天ぷらを食したのは1月21日、亡くなったのは4月17日であり、 食中毒としては時間がたち過ぎている。 家康の直接の死因は、胃癌であったという説が有力。 『見る間に痩せていき、吐血と黒い便、腹にできた大きなシコリは、手で触って確認できるくらいだった(徳川実記)』 とあり、胃癌の典型的症状と言われている。 またまた出しゃばって駿府に来る江。 今までの思いと恨みを打ち明けるあたり、相変わらずの直情径行か。 子供っぽいなあ。 家康がその時に倒れたのも、随分タイミングいいというか。 秀忠は家康に幼いころの自分を話す。 父を殺され、敵方に人質を取られ、不自由な生活をしていく 苦労人ゆえにどこか曲がり、したたかな人格が完成したのは確か。 とは言え、それで何ゆえ平和を望むようになった? 秀忠は家康に従順だったから(記録にもそうある。)跡継ぎに選んだという話だが、このドラマでは逆に自分の医師をしっかり持っていたから跡継ぎに選んだということらしい。 実際は長子単独相続を自身で示したかったからということらしいが(兄の秀康は妾腹の子だし) それでも人間として、息子を可愛がっていたのは史実でもそうだろうな。 親子だからできること。 最後の時間を家康と共に過ごす秀忠。 死ぬる今わの際、彼は何を見ていたのだろう。 秀忠・江夫妻か、これから続く260年の太平の世だったか。 徳川家康、1616年4月17日逝去、享年75歳 辞世: 「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」 「先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ」 死後、秀忠は竹千代と2人、腹を割って話す。 徳川が太平の世を作る、 それを母の望みと受け取る竹千代。 竹千代が化粧をしていたのも、母を慕っていたから。 ちょっと強引だけど、来週最終回だしまあいいか。 今回のおまけ 青と赤編 いろはにほへとは最終回ですよ! えむえむっ! 第10話『サディスティック嵐子嬢』 Watch MM! 10 in アニメ | View More Free Videos Online at Veoh.com 幕末機関説 いろはにほへと 第26話(最終回)『海の向こうへ』
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