同志社大学を設立しようとする新島襄だが、不治の病に倒れてしまう。
明治22年(1889年)11月28日、同志社設立運動中に心臓疾患を悪化させて群馬県の前橋で倒れ、その後回復することなく死去したといわれているが、この時点で不治の病とわかっていたらしい。 八重は生きてほしいと願うけど、新島襄は死を恐れながらも、できる限り自分のやりたいことをやりたいと主張。 人は部分的だけど不死身の幻想に憑かれている。それを打ち砕かれ、余命残り少なしと言われた時、どうするか。 人は何のために生きてきたのかが根本的に問われる瞬間なのではないか。 襄にとっては、キリスト教学校を設立して、キリストの教えをみなに広げることこそが、自分の生きてきた意味なのではないか、と思う。 そして八重にとっては、そんな彼に尽くすことが生きてきた意味なのかも。 次回、襄の最期が描かれるみたいだけど 『狼狽するなかれ、グッドバイ、また会わん』 これをどう表現するのか、注目される。 |
![]() |