どうも新島襄は外国で長く暮らしているためか、日本に疎いようで。
言いたいことをずばずば言う八重には慣れていないようで。 同時に自分の前ではなく横にいる人間でいてほしいという欲求も見たしていたようだけど。 八重は襄のことを呼び捨てに読んでいたようだけど、当時の和魂を持った生徒達には受け入れられていなかったようで。 それどころか着物と西洋の帽子を一緒に着て『鵺』と呼ばれたようで。 史実かどうかはわからないけど、これってコメディ的な描写がぴったりなのではないだろうか。 彼女自身は開き直っちゃった感じだけど。 さて、熊本洋学校から転校生がやってくるということに。 その第1人目は金森通倫。 どうやら飲まず食わずで熊本から京都までやってきたようで。切羽詰まっている。 どうも虐待されればされるほど彼らの結束力が高まるのは江戸時代のキリスト教徒から変わらないようで。 滅びの美学だろうけれど。 熊本バンドと呼ばれた彼らは、どうやら率直過ぎるうえ血の気も多いようで。 自分の知識で先生の知識を否定したり。 そして全体の同志社生徒の結束が乱れるという状況に。 なかには同志社をやめるという生徒達も。 男泣きに泣く襄に、八重は自分の思いを伝えるように頼む。 熊本バンドに関して『良いことは良い(ならぬことはならぬの逆)』といい、自分の気持ちと相手の良いところを相手に伝えるよう諭す八重。 改革要望書を出してきた熊本バンドに対し、 『自分のために相手を排除するのはもってのほか。人々を愛する人たちを育成したい』 と正直に自分の思いを伝える襄。 そして八重の、一緒に学校を作っていこうとする呼びかけ。 1人1人、少しずつ心を動かされていく熊本バンド。 一方、封建的な特権を奪われた士族たちは次々と反乱をおこす。 会津の士族たちも反乱する。 こうして、士族の最大の反乱であった西南戦争が起きるわけだけど・・・。 西南戦争で「戊辰の復讐」を叫んだ新政府軍がいたわけで。 新政府につこうが西郷につこうが、会津に取ってはどっちも損だっただろうに。 |
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