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新島襄と婚約した八重は、女紅場を解雇されそうになる。 まあ当時としては『和魂洋才』がスローガンで、キリスト教に対する偏見も少なくなかったからね。 徳川時代にはタブーだったわけだし。 事なかれ主義なところがある植村にしてみれば、余計な波風を立てたくなかったのだろう。
さすがの八重も迷って、兄に相談しようとするけど、兄は自分のことゆえ自分で決めろと言ってくる。 襄はキリスト教学校を開講する場所を決めてきたけど、ここはかなりの廃墟。 加えて周りの人たちの偏見も根強いと。 潤滑油格の大垣屋清八がいい味出してるね。
そして八重の決断は、襄を妻としてさせうこと。 女紅場を去ることだった。 生徒が泣いて歌を送るあたり、慕われてはいたんだろうね。 僕も職場の先輩後輩に慕われているかどうか。
一方、桐野利秋らに囲まれて下野した西郷は、学校を開いていたとのこと。 こんな史実あったかな。(仲間たちと共に文字通りの晴耕雨読の生活を送っていたと聞いていたもんで) そこに同じ薩摩藩の誼で大山巌がやってくる。 夏目漱石の生家と養家がそうであったように、明治からほとんどの士族の暮らしは没落していた。 不満がたまるのも確かだが・・・。
さて、新島襄の周りにも、同じ思いをする生徒が集まって来ていた。 いろいろな考えを持つ人がいるからねえ。 ともあれ、植村は事なかれなところがあるから文句も言うのも当然か。
そしてついに始まる譲と八重の結婚式。 ウェディングドレスこの時代にあったのかね。 洋式の結婚も当時としては珍しかったから、見物に来る人は多かったんじゃ? (プロテスタントの結婚は初めてだったんだとか。)
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