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いよいよ一丸龍成理事長とボッスンとの対決が始まる。 一丸は個性を和を乱すもとと嫌い、開盟学園を義務と戒律で進学校へと作り変えるつもりだけど (いわゆるパーフェクトハーモニー・・・。)
その中で個性ゆえにいじめられた一丸の子を楽しませようと皆で考え出した学祭アトラクション・;・・、 どうもその中に、一丸の子の喋られない理由が隠されているようで・・・。
多分ボッスンたちが勝つんだろうけど、問題は一丸の子がどう反応するかだな・・・。 なぜ黙っているのやら・・・。 (そういえば、チュウさんやお姉さんの動きは・・・?)
なんだかどんどん最終回の匂いがしてきたけど、 最後まで見守らせていただきます。
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甲陽鎮撫隊として敗れた後、新選組の近藤勇は罪人として打ち首となり、残ったメンバーは会津に逃げる。 家族は新選組がすべての火種と言っていたけど、どんなものだろうね。 禁門の変以降、会津に対する薩長の恨みは強かっただろうから。 その中で斎藤一は、後に妻となる高木時尾と出会う。 妙なめぐり合わせだなあ。
一方で、会津は自分たちが逆賊でないことを認めさせようと、米沢や仙台藩にも認めさせようとした 生真面目で暑苦しい人物だからこそ、奥羽列藩も出来たんだろうけど。 署名は奥羽全体で集めたが、官軍参謀の世良はそれを破棄。 これだけ横暴な態度を取られたら人間も感情の生き物で、仙台藩士は世良を暗殺。 (史実では阿武隈川で斬首されたということになっているが、ここでは寝込みを襲われたことになっている。)
そしてついに官軍と奥羽列藩同盟との戦争が勃発。 白河城が落ちる中、会津は仲間を増やすために次々と同盟を結ぶ。 河井継之助が幕末三大兵器の一つ・ガトリングガンを持っていたというのは史実通り。 ともあれ、ほかの藩は未だに旧式銃を持っていたという有様・・・。 250年の太平になれるとこうなっちゃうか。
家族や会津が炎に包まれる悪夢を見る覚馬。 絶望に苦しむ中で、ひとつだけできることを思いつく覚馬。 死に物狂いになれば人間何か思いつくものか。 八重もまた、負傷者の介護をしながら、戦火の近づくのを感じていたのか。
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剣心の目の前で薫がひと突きにされ、ついに彼の中の抜刀斎が覚醒。 ついに刃衛との最終決戦が開始!
というところなんだけど、いろんな意味で万感胸に迫った最終回だったねえ。 キネマ版を読んでいて気になった点は、九頭龍閃をなかなか出さないところだったんだけど。 まさかクライマックスで奥義として出てくるとは・・。 読みも『ここのつがしらのりゅうのひらめき』 になっているけれど。 確かに九頭龍閃は本編でも天翔龍閃と同時に覚えているし、一瞬九斬と一撃必倒の威力がある分奥義には向いてるんだろうけれど・・・。 読みづらいのなんのって。 天翔龍閃は二撃目がなくなって劣化しているけど、こちらは本編とあまり変わりなし。 それでも刃衛をダウンさせるのにはよっぽどの威力だったんだろうが ともあれ最後の突きは確実に致命傷を負わせているような・・・。(柄ではなく刃で突いている)
ここで薫に止められるのも本編通り。 刃衛の一撃は先ほどの天翔龍閃で手の傷に入り込み、手元が狂って薫の急所をそれた・・・。 ということらしいが、あの位置に突きをくらったら致命傷になるはずだぞ。 最後は薫の最期を剣心が看取って、弥彦は剣心や左之助たちが育てる・・・というエンドでも良かったと思うのに。
刃衛も致命傷を追っている気もするが、自らの手で刀を突き刺し、『人斬りは死ぬまで人斬り』と言い残して絶命。 ここも本編似だなあ。 既に致命傷を負っている気もするけど。 『拙者はお前を殺さない』という剣心のセリフ、説得力がない気がするぞ。
なにはともあれ、武田観柳は逮捕。左之助と燕も剣心の仲間になって 『おかえり』 『ただいまでござる』 という映画版と似たような終わり方で終了。 結局少年漫画の王道・笑顔とハッピーエンドで終わったか。
多少突っ込みどころ多いけど、悪くない終わり方かな。 和月先生はジャンプ漫画家の中で一番好きなんで、これからの活躍に期待したいところです。
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八重の弟・三郎の死は、尚之助から直々に伝わる。 皆々悲嘆にくれる一方、八重は最初は否定するものの三郎の死を受け入れ、仇を取る方法を尚之助に求める。 会津全体が朝敵となり、降伏することもできたけれど、最後まで戦う思いは会津人全ての思いだったのだろう。
そして、新政府軍が会津に迫り来る中、合議制で決まったのは 『朝廷にはひたすら恭順、ただし攻めてくるようならば全力で迎え撃つ。』 という結論に達し、長沼流軍学を捨てて正規隊の改革を行う。 白虎隊の者も若さゆえか血の気が多い。 修練の生徒達を三郎に重ね合わせ、厳しく指導する八重。 やはり表には出てなかったが、三郎を失った悲しみは強かったのだろう。
一方、江戸では勝海舟と西郷吉之助の交渉が行われていた。 慶喜はひたすらに恭順という条件で江戸攻撃を中止するように頼む。 江戸の町に住む無辜の民を巻き込まないようにと。 その説得も相まって西郷は江戸総攻撃を取りやめるが、振り上げた拳をどこに下ろすか迷っているようす。 ほんと恐ろしいなあ。
そしてフランス式の修練を行う会津藩。 とはいえやはりにわか仕込みだったのかもしれぬ。
そして覚馬に会う西郷吉之助。 会津が朝廷に歯向かう意志はないと主張する覚馬だが・・。 一方で新選組残党や奥州の諸藩が集まり、(奥羽列藩同盟がつくられるもこのころか) やはり潰すしかないと考える西郷。
会津に来た斎藤に、覚馬の生死には期待しないほうがいいというが、八重は生きていると信じる。
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共通番号制度(マイナンバー法案)が通った。 2016年1月から実用化されるんだとか。
僕はかねてから共通番号制度には賛成していたので、法案が通ったのはよかったと思う。
これにより、 ①行政サービスの手続きが簡素になる ②行政が効率化される と言われている。 これによって、本当に行政サービスが必要な人とそうでない人の判明や、個人の所得などが分かりやすくなるなら、税の徴収や行政サービスの提供がより効率的になると思ったのである。
一方で、 ①なりすまし犯罪が起きやすい ②情報流出でプライバシーの問題が起きる ③共通番号に伴う情報や報道の制約はあるのか。 という問題もある。 アメリカではすでに番号の『なり済まし犯罪』が多いという。
一方日経ビジネスによれば、
米国ではそれに相当する「社会保険番号(Social Security Number=SSN)」が、デファクトの個人IDとして広く使われている。私にとっては、日常生活にすっかりなじんだものだが、改めて調べてみると、なかなか面白い逸話がある。 (中略) 外国から米国に引っ越してくると、早くSSNを取らなければいろいろと面倒だ。運転免許を取るにも、銀行口座を開設するにも、携帯電話を契約するにも、アパートの契約も、クレジットカードの申し込みも、ローンを組みたい場合も、あらゆる場面でSSNを要求される。
SSNがなければ絶対ダメというわけではない。SSNが取れない旨を申告して銀行口座や運転免許を申し込むことは可能だし、SSNを必要としないアパートもある。2000年代に入ってSSNの申請資格が厳しくなり、ビザの種類によってはSSNを取れない場合もあるからだ。
しかしいろいろな制約ができてしまうので、たいていの人は米国に来たら、必死でSSNを入手する。一方、子供が米国で生まれると、すぐに出生証明の届け出と一緒にSSNの申請をする。
いったん取得してしまえば、あとはそのカードは、家の引き出しの奥深くにしまったままで、取り出すことはほとんどない。SSNカードはペラペラの小さな紙で、一応セキュリティー対策は施してあるが、あまりありがたい品物のようには見えない。
クレジットカードとは異なり、カード自体の提示を求められることはほぼ皆無(私はこれまで一度もない)。番号を書類に記入するか、口頭で伝えるかどちらかで済む。あまりによく使うので、自分の番号は覚えてしまうのが普通だ。セキュリティーの関係で「最後の4ケタだけ」を要求されることも多い。番号を利用しようとする団体は、この番号をキーとして社会保険庁に照合するシステムを使って、本人が記入した内容に間違いがないかどうかを確認する。
クレジットカードのように番号自体が取り引きのトリガーになるのではなく、運転免許証のようにSSNカード自体が「身分証明」の役割を果たすのでもない。その一層下にある「本人確認」に使われるだけだ。
すなわち米国のSSNは、生活の中では日本の「戸籍」に該当する役割を果たしている。こう考えると、分かりやすい。 日経ビジネス『米国版「マイナンバー」は怖くない』 海部美知
共通番号制の利点と課題も行政やマスコミは発信する必要があるのではあるまいか。
今回の自民党案は、他の行政分野や民間分野での番号の利活用促進を明記しているという。 個人的には税・社会保障だけに使ったほうがプライバシーの流出が防ぎやすいと思える。 使う機会が多い程プライバシー流出の危機も大きい。
ちなみに行政サービスの効率化のため、民主案の歳入庁は必要だと僕は思っている。 プライバシーの流出やなり済まし犯罪を防ぐためには、厚生労働省の下に置かれ、行政を監視するために民間人の監視役が置かれた機関が必要だと思う。
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