『函館百景』についだ、旅行記系小説。
文章を書こうとすると難しいです。
でもやるからには全力でやったつもりです。
横浜の旅行記。
pixivでも載せましたが、このブログでは写真付きで楽しめるようにしています。
(そうそう、『Cross Ballade』はpixivでは完結したっけ。
こっちでものせにゃあね。)
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海が見たい。
旅行を考えるとき、たまに思い立つのはこの考え方。
元々比較的内陸に住んでいた期間が長かったせいか、海を見たがる傾向が大人になるにつれ、僕は強くなっていった。
無論昨今の3.11のことは忘れているわけじゃない。テレビでしか見なかったが、ほの暗く濁り、コンクリートや木材が混ざった波が、何もかにもを押し流していく姿は、いまだに頭の中に残っている。
それでも海への嫌悪感が芽生えることはなかった。
青く、広がっていく海を見たいと、今日まで思いが消えることはない。
3.11から7ヶ月後の10月に、横浜に行きたいと思い立ったのは、そういう思いが強くなったからかもしれない。もちろん、横浜中華街を見たい、本場の中華料理を食べたいという思いもあったが。
少し前に父と一緒に中華街で食事をしたこともあったが、それより前の10月に一人旅をした時の方が印象的になっている。1日が短く感じられたのも、そのためであったろう。
真昼の青・紺の海も、夜の黒く光る海も。
海の広さ、広大さが何気に、ちまちましたことで躓く不安定な自分の気を引くのであろうか。
10月の旅行では、海を見る前に、まず外国人の墓地から見て行こうということになった。
函館でも同じようなものはあったが、時間がなくて見られなかった。
それを今回、見直そうと思った。
みなとみらい線の元町・中華街駅を出て、小高い海の見える丘公園に行く。
そこの丘から振り返ると、3段ほど積み重なっている高速道路が白い壁のように街を横切り、その向こうには明るい青色の海が見えた。

海は静かに、波を立てずに水面を作り出している。
それもまた、海の一形態だと思った。
海らしかった。
そこから海から遠ざかるようにして歩いてゆけば、閑静な外国人墓地にはたどり着ける。

明治維新ののち、数多くの外国人が海を横切ってこの港町にたどりつき、海を見ながら生き抜き、この地に眠りについた。
その日から今日まで、海そのものの気質は変わっていない気がするのである。
墓碑の一つ一つに刻まれた名前を見ていると、お雇い外国人達が、どんな気苦労をしながらも海をそばに生き抜いていったかがうかがえた。


中には子供が先立っていたり、若いうちに命を落とした者の墓碑も刻まれていた。
この場所で海を見ながら、国を遠くにしながら、彼らは老いて眠るとき、何を考えていたのであろうか。
静かな中で、強い日光に照らされながら、ふと思った。
外国人墓地から、今度は反対に海に向かって南下する。
公園から小路へと進んでいき、海に面した山下公園に足を運んだ。
遠くから見て青かった海が、墨汁をこぼしたかのように急に黒く濁った。
そこでは縁日が行われ、人が群がっている。

どうやら多国籍料理の発表会らしい。
それほど腹は減ってなかったので、食べ物は買わない。大体からしてトルティーリャ1枚だけでも400円もするのだから、空腹でもないのに食べる気にもなれなかった。
我ながらその吝嗇に呆れたが。
人の多さは気が散るもとにもなる。観客の話の声で、せせらぎの音も聞こえなかった。
海岸に沿って歩き、元観客船である氷川丸に乗る。
甲板は白で、船底は黒。海に浮かぶ姿は妙に目立つ。


老朽化して除籍されたのちは、こうして観光用に使われているという。
海を別の角度から見たいと思い、入ってみる。
日は西に傾き、白い光が紺の海を照らし、白玉模様の海を映し出していた。
バックの海が黒いので、気持ち悪かった反面、白い光が余計に際立っていた。
氷川丸は豪華客船であり、様々なブルジョワを海に連れていった模様。
入口付近の丸い窓から船の外をのぞいてみると、海は暗紫色で、程良く小さな波を立てていた。

静かであるが、テレビから流れる船に関する説明は、蛇足に思えた。
気が散る。
氷川丸の客室を見て回ると、すぐに閉館のアナウンスが流れた。
その中で、船の甲板から沖を見渡すと、向こうには半円の赤い夕焼けが顔を出し、その下には沖が波を立て、暗紫色の海を灰赤色に色を変えていた。
夕闇の中の海と言うのは、じっくり見たことがなかった。
のちに秋田の銭湯にある展望台で家族と共に見たが、横浜で見たのが初めてだった、と言えよう。
舳先に立って、写真を撮る。
太陽は何も知らないというように赤く、海は灰色の中に、赤い光を流していた。
そこから再び海から遠ざかり、中華街へと向かう。
海のことは一旦忘れて、トリックアートを見て楽しんだ。
そのあと中華料理店で、卵あんかけ焼き蕎麦を食う。
海に浮かぶ太陽のように、丸かった。
中華街で食事をした後、よしもと水族館に向かう。

さかなクンが館長だというこの水族館では、スベスベマンジュウガニなど、一風変わった海の生物を陳列している。

海の生き物だが、当然水槽の中に陳列されているので、妙にその実感はわかない。
海の生物と言うより、博物館の生物、そんな気がした。
まあ、水槽もコンパクトであるからであろう。
中華街を出ると、日は完全に暮れ、黒い夜になっていた。
月も星もない中で、街の灯りのみが、道しるべのみならず、海をわからせるトーチライトになっている。

リュックは欠陥品で、気がつかないうちにどんどんチャックが下にずり下がり、口が開いていく。
「開いてますよ」と、道行く人に注意を受けたので、ますますそれが心配になってしまった。
それに気をつけながらも、海に沿って歩いてゆく。
右手に見える海は、少し波風を立てて、昼の時より黒くなっていた。
それが街並みの光を反射し、輝きを彩る。
オニキスのよう。
テーマパークの観覧車に乗って、海の全景を見たいと思った。
元々夜に、展望台や観覧車に行って街の夜景を見たがる人情。
1人でも観覧車に乗る性質だった。
待ち時間が長かろうと、我慢できる。
30分ほど待って、赤いゴンドラに乗る。
ゴンドラは半分ほど高度があがると、障害物がなくなり、夜の景色を広く映し出すようになる。
無数のイルミネーションと、イルミネーションのない海。

海はイルミネーションの光を反射しているにすぎないが、それでもきれいだと思った。
ゴンドラから降りると10時近くになっており、あわてて新横浜にあるホテルへと向かった。
そのころには、どこのオフィスビルも電気を消しており、街の暗闇がひどい。
一瞬、ゴーストタウンだと思った。
気が付いたら闇の中を、速足で歩いていた。
地下鉄代をケチって横浜駅まで歩いてゆくと、30分ぐらいかかった。常々思うが、横浜駅周辺はかなり道が入り組んでいるような気がする。
海のことなど、忘れていた。
チェックインの時間に遅れてはなるまいと、速足で新横浜駅まで向かった。
新横浜駅まで行くと、すっかり内陸となり、海は見えなくなっていた。
2日目になっても、快晴なのはトンと変わらぬ。
泊まったホテルは新横浜にあったので、海からは遠ざかる。
急いで横浜駅、そして海に向かう。
潮風が吹いていたが、海は時化にもならず、穏やかに波打っていた。
海を横浜の入り江のど真ん中から見ようと思って、遊覧船『シーバス』に乗ってみることにした。
横浜そごうの向かいにある船の乗り口では、50分ほど待った。
海は昨日とは異なり、紺色で太陽の光も反射せずに動いている。白いビルのもとへ波打つ光景は、奇妙に思えた。
船の揺れも、心なしか大きい。
これが海の本質か。
入り江から見た海は、光も反射せずに、藍色の波を作り出していた。

山下公園でシーバスから降りると、芸人がジャグリングをやっている。
ちょっと気になってみてみた。
どこか地味に思えたが、気づくと30分くらい見てしまっていた。
あわててその場を後にすると、海に沿って赤レンガ倉庫へと向かう。
海は相変わらず藍色で、静かにうねっていた。
赤レンガ倉庫から海をのぞいてみると、日が少し傾いて、海が紺から青色にかわっていた。
ここは展覧会の会場にもなっているとか。
赤色の壁につけられた窓から見る、海。
あれは、よかった。
朱色の壁と、青色の海。
妙なまでに対照的だった。メリハリがきいていた。
出るころには、日が傾いていた。
日はオレンジ色になり、グレーの海を茜色に照らしていた。
夕日がほとんど隠れ、空がオレンジから暗い水色に変化した時に、ランドマークタワーに向かう。

今回も暗くなり始めた時に、ランドマークタワーの展望台に上った。
薄暗い光の中の最上階展望台は人が多い。
だが、周りの黒い景色を見ていると、あまり気にならない。
基本的には灯りの方に集中する口だから。
街並みは七色のイルミネーションを照らしているが、海だけはその光をでたらめに反射し、黒く輝いていた。黒真珠のよう。
赤や青、白い光を放つ周りとは奇妙に対照的である。



この夜の宝石を見ながら、タワーのレストランでカレーを食べた。
程良い辛さである。

夜の黒い海を見ながら、新幹線に乗り遅れないようにあわてて速足で歩いた。
時間は海をも忘れるほどに早いものなのであろう。
海へと続く川は、黒石のように黒く輝いていた。
それをじっくり見る余裕はなく、速足で横浜駅まで向かった。
その翌年、父と横浜中華街で食事の約束をした日。
腹を下しながらも、同じリュックと、同じ荷物の量で再び横浜に来た。
横浜駅西口から出て、入り組んだ街並みを、迷いながら歩く。
そごう横浜店の入口を上ってみた。
そごうの空中ブリッジから見る海は、1年前の港から見た海と変わらず、紺色で、静かに波を立てていた。
現実は、青い海と言うのはイメージだけで、なかなかその姿を見せないものらしい。
とはいえ、その土地の海は、天気や時間によって異なる表情を見せながらも、変わらないものもある、と思った。
横浜の海の百景は、たいがいこの表情でいくのであろう。
終わり