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平家政権の緩みの象徴となった、鹿ヶ谷の事件。 この謀議は随分と乱暴だったらしく、平家物語によれば、話の時に徳利(瓶子)が倒れると、 『瓶子(平氏)が倒れた、これは幸先がいい』 ということになり、 西光が『首をとるにしかず』とその鶴首を割ったとなっており、ドラマでもこの通りになっている。
多田行綱がこれを密告したというのも史実通り。 (ためか、歌舞伎では藍染を塗った悪役・風見鶏として描かれることが多い。) その前に全国の源氏に頼んで反乱を・・・という役割も描かれるとは思わなかった。
そして頼朝のところにもそのうわさは流れるが、頼朝は相変わらず大人しい。 やはり慣れって怖いな・・・。
西光は清盛捕縛と同時に源氏の旗を掲げ、形勢を逆転させる予定だったらしい。 どうやら清盛に期待したが故の失望だったようだ。 武家の犬に実権をとられることが、何とも我慢ならなかったらしい。 信西の側近ではあったけれど、心は清盛と共ではなかったようだ。
そしてついに発覚。西光・成親は捕縛。 分不相応に反乱を企てたと罵る清盛に対し、高平太と呼ばれた清盛が太政大臣にまでなりあがって・・・と毒づく西光に激怒して、拷問にかけた挙句斬首、というのが平家物語のくだり。 一方でこのドラマでは、清盛が信西の志を継いでいるのではなく、清盛が王家に復讐をしていると罵った西光に清盛が激怒したということになっている。 その思いがなきにしもなかったのであろう。 同時に、武士が頂きに立つという野望もあったはずだ。 醜きことにまみれようとも頂点に立つ。 それをぶち壊した西光が許せなかったのだろう。 どんなになっても武士は武士、粗暴な集団と罵倒した西光の口を清盛は裂いて、首をはねることになる。
そして一方、頼朝をほおっておけない政子は、武士の誇りを忘れたのかと挑発し、頼朝に刃を向ける。 髭斬りの太刀を渡されたのは、武士の魂を忘れるなということではないのか。 それだけ気にかかっていたんだろうねえ。政子は頼朝を。
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