実際の秀忠と江の仲は、よすぎるぐらいによかったという。
ただ、秀忠が側室を取ろうとしていたところ、江の命で側室の家が焼かれたから、それがトラウマになっていたという説もある。 江の気性の激しさをうかがわせるエピソードだが、今回は『最悪の夫』という形で、秀忠や三成にそれが出た感じか。 『東照公(家康)の公達あまたおはしましける中に、岡崎三郎君(松平信康。秀忠兄。)はじめ、越前黄門(結城秀康)、薩摩中将(松平忠吉。家康の四男)等は、おづれも父君の神武の御性を稟させられ、御武功雄略おおしく世にいちじるしかりし中に、独り台徳院(秀忠)殿には、御幼齢より仁孝恭謙の徳備はらせ給ひ。 何事も父君の御庭訓をかしこみ守らせられ。萬ず御旨に露違はせ給はで。 いささかも縦覗の御挙動おはしまさざりき』 徳川実記 秀忠はどちらかというと凡将という評価。 ドラマのように、秀忠がひねくれ者だったというわけでもなく、家康が直々に江に頼んだということもないにせよ、どちらかというと家康も不安を隠せなかったというのは確かだろう。 江は様々な苦労をしている分、芯は強かったのは想像に難くない。 史実の家康も、そこを買ったのではあるまいか。 秀吉は豊臣と徳川の橋渡しと言って勧めた婚儀。 ただ、この頃の秀吉は慢性肝硬変で、かなりボケていたという。 その婚儀が、幸か不幸か、浅井三姉妹を引き裂いてしまうのだが・・・。 あげく娘の完子も置いて行けという命令。 これはドラマの中では、石田三成が淀殿に進め、秀吉や淀殿もそれに賛成したということになっている。 『完子は豊臣の子。 淀殿は秀頼の母であると同時に、豊臣の母でもある』 という三成の説得。 それはあくまでも側近としての意見で、淀殿を説き伏せられるものではないと思うが・・・。 淀殿個人の意見としては、豊臣と徳川が万が一対立した時に(事実そうなるのだが) 完子が可哀そうだという。 反発するが、結局受け入れる江。 こうして完子は、後に公家の九条忠栄に嫁ぐまで、淀殿が養育することになる。 淀殿が完子に母としての愛情を持っていたのかは不明。 『慶長日件録』には豊臣の財産を相続できないとあったが、 完子が忠栄に嫁ぐ時、淀殿が万事整え、京の人々を驚かせている。また義弟・豊臣秀頼名義で豪華な九条新邸を造営している。 さて、婚礼の日。 自分の思いを率直に打ち明ける江に対し、シニカルに流す秀忠。 それも言い方がいちいちとげとげしい。 その時、江はある決意を固める。 『自分の思うがままに生きようとするが、なかなかうまくいかない。 ならば天の大きな力に、自らの意思で乗ってみる。』 大きな力に流されているのは自分も同じ、という秀忠。 婚礼したくなかったというなら、お互いに意地を張り合おうといい出す。 本当に変わり物のようだが・・・。 次回で少しは変わるかな。 今回のおまけ 青と赤編 俺の妹がこんなに可愛いわけがない 第10話『俺の妹がこんなにコスプレなわけがない』 幕末機関説 いろはにほへと 第10話『上野陥(お)つ』 |
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