さて、大阪城に戻された江。
復讐のため、秀吉の身辺を洗い出すことに。 さて、秀吉の養子に出された、於義丸改め結城秀康。 もともと『於義』とは『オコゼ』の意味らしく、幼いころから家康にうとまれていたことがうかがえる。 双子(=畜生腹)であるとも、妾の子であるとも言われているとは以前書いた。 竹千代、後の秀忠を、家康は嫡子として育て上げる。 まあ、秀忠は慎重な人間だったからな、二代目としては秀康より良かったのかもしれぬ。 派手好き、陰湿、女好き。 秀吉に対して様々な負のイメージを持っていた江。 一応秀吉の養女として、黒田如水、豊臣秀長、石田三成と、様々な人間に聞いてみた。 しっかし、一時は敵方の姫君だったのに、よくあれだけ家来に接近出来たなあ。 ティンカーベルと揶揄されてるわけだ。 男どもは秀吉を褒めるばかりで、女に聞いてみることにした江だが、乳母がすでに全員に聞いていた。 しかも全員ほめている。 ま、物言えば唇寒し秋の風、である。 さて、千利休はいつも何かを悟った人物。 『人のことは人に聞いてもわからない』 実際にあってみよということだ。 確かにそうだ。 百聞は一見にしかずであろう。 さて、秀吉は秀次(今回は通説通り、殺生関白と呼ばれた暗愚な人柄なよう)を育てるために、 長宗我部攻めの指揮官に任命し、自分は仮病を使って休む。 そうすれば秀次も気が引き締まるという話だが、しかしながらトップ・オブ・トップが前線に出た方が、現場の士気が高まるんだよなあ。 家康は大坂の陣の時、74歳の高齢を圧して前線に出向いたし、近藤勇は池田屋事件の時、真っ先に斬り込んだ。 四国の長宗我部を陥落させた秀吉。 (実はこの中に、おちのびた春日局とその一族がいる) 目的は何だ、織田家を滅ぼすのかと詰め寄る江に、秀吉は信長の影を見て恐れ入る。 まあ、市よりも信長に似ていたという話だが、茶々に比べると目立たなかったという話だから、 その可能性はありうる。 信長に似ていたから、遠ざけて政略結婚させ、 信長に近づきたかったから江を養女にしたというが、ちょっと見苦しい。 今までのうらみをぶつけ、泣く江に対して、秀吉も泣き、江を抱きしめる。 まあ、父としての一面は、ありそうだ。 あげく純金の猿の像を渡し、やつあたりに使えと諭す秀吉。 派手好きだ。 嘘と真実を使い分け、権謀術数にたけているが、女と情にはもろい。 それが今回の秀吉であろうか。 今回のおまけ 大河ドラマ 秀吉 OP |
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東日本大震災の後、小さな地震が東北で続いているが、とりあえず復興のための予算案が通った。
財源は高速無料化の中断や、子供手当の上積み断念でとりあえず集めるということらしい。 うちの家族に言わせると、『宗教から、特に創価学会から取りゃいいのに』 とのこと。 僕自身は新興宗教はともかく、三大宗教から税をとるのはやや気持ち悪い感じがする。 まあ僕自身、プロテスタントの端くれだからかもしれないが。 ところで、宗教法人は、どんなことにお金を使うのか。 一応自分の教会を例に調べてみた。 (あ、プライバシーに触れそうな部分は伏せてありますのであしからず。) ![]() こうしてみると、管理費用を除けば、伝道費や教育費が多い。 (牧師の給与が高い、という気もするが、何しろ牧師にしろ坊主にせよ、労働基準法も就業組合も適用されない(RELNETより)のだから、仕方ないような・・・。) まあ、伝道は使命だからな。また、キリスト教の倫理観で教育することは少なくないし。 【宗教法人が免除されている税金】 ・法人税 ・所得税 ・固定資産税 ・消費税 ・事業税 ・市町村民税 他 なのだが、あくまでも免除されているのは法人だけで、坊主や牧師個人には宗教法人からもらう給料に所得税や住民税を支払う。(経済通への道より) だから坊主丸儲けというわけではないらしい。 ならば、宗教法人に税をかける(一応『宗教税』としておく)とすれば、牧師や坊主個人ではなく、宗教法人全体だろう。 ただ、宗教法人の収入としては、いわゆる『お布施』や、『献金』が多く混じっているので、それに課税するとなると反発が大きいのは確か。 となると、各種控除を少しずつ廃止した方がいいのか。 結構宗教法人に課税しようとして倒れた政権は数知れないらしい。 まあ、いずれにしても慎重に。 そして取るとしても新興宗教に限定したほうがいいだろう。 (そう言えば、昔統一教会と右翼・勝共連合のつながりが話題となっていたけど、 政治勢力とつながっている宗教法人には高く税をとるというメリハリも必要かも) 自分は『庶民』ではない。 最近自分は自分を『庶民』と思いたくなくなってきているし、そう呼ばれるのが嫌いになって来ている。 上からの餌を待つ痩せ犬のようなイメージがあって。 kojitakenさん達が良く使う『市民』は悪くないが、どうもそれとも違う気がする。 自分は結構動じやすく、打たれ弱く、感情的だから。(ただ、感情は人間だけが持つ意味あるものとも思っている。) じゃあ、自分は何だろう。 気取った言い方をすると、 『庶民でも市民でもなく、激情家』 となってしまうのだが、そういうのをなくせば、 『自分は、極道者』 が一番近いのではなかろうか。 『極道』とは、世間一般で使われている『やくざ者』のほかに『放蕩』という意味もあるらしい。 だとすれば、自分には合っているのではなかろうか。 『庶民の集団』にも、『市民の集団』にも、どこの集団にも どこにおいても違和感を感じ、なじめず、常に一人で、一生さすらい続ける。 それが自分の宿命だとしたら、その中で自分なりの仁義を見つけ、それを発信していくのも悪くないのではと思う。 <参考文献> ・経済通への道 ・宗教法人と税金(RELNET) 今回のおまけ いやあ、久々に青と赤編 神八剣伝 第22話 『コウたち、天へ翔ぶ』 らき☆すた 第22話 『ここにある彼方』 |
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