ふたゝひと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり 武市半平太辞世の句。
てな訳で今回半平太切腹。
案の定、龍馬の泥をかぶろうとする態度に感銘を受けた半平太が、岡田以蔵と自分の罪をすべて自白したというくだりか。
自分のはともかく、以蔵の罪まで白状するのはどうかと。
松平容堂もまた、幕府の心ない命(徳川慶喜も眉がなくてダーティーな感じなんだが)に迷っていたのだが、自分はこのような下士を持てたことを誇りに思う、と半平太に言い残すが、だとすればなぜ以蔵を極刑に?
容堂はやはり、
『酔えば勤皇、醒めれば佐幕』で、本性が本当に読めないという形で描いてほしかったのだが。
ともあれ、半平太は史実通り、三文字に腹を裂く切腹、以蔵の首は雁切河原にさらされることになる。
奇しくもそこは、かつて彼らが暗殺した吉田東洋の首がさらされた場所でもあった。
以蔵と半平太の死後、龍馬は海軍操練所の仲間たちとともに長崎へ向かう。
彼らの遺志を継いで幕府を倒す、という下りは良かった。
どんな素晴らしい体制も、時とともに疲弊していくもの。
龍馬は新しい体制を作るというよりは、旧態依然とした体制の破壊、そしてあらたなる国際関係の在り方を示して去っていくんだよね。
彼らは次々に断罪され、首領武市半平太は、切腹。
慶応元年(1865年)閏5月11日、南会所広庭で行われた武市の切腹は、三文字に腹を裂いて検視の役人ですら目を見張るほどの見事さであった。
が、その因を作った以蔵は、知らない。なぜならばこの無宿鉄蔵だけは極刑の梟首になり、師匠の切腹の頃は首だけの以蔵が、雁切河原の獄門台の上で風に吹かれていたからである。
司馬遼太郎作『人斬り以蔵』今回のおまけ龍馬伝 第3部スタート