大学時代からの同級生で、一緒に大学院に行った親友が院を中退し、実家に帰ることになった。
いつも大河ドラマなどで話が合う人で、気がついたら研究室での人間関係の愚痴を聞いてもらったり、甘えてしまっていた。 自分もその友達の力になれたかどうかわからない。 公務員試験はペーパーは合格、面接と論文を控えているが、いまだに迷いを引きずっている。 公務員になってどうする?ルーチンワークだけして、それで安穏と暮らすのか? 激情家の性分としては、耐えられないように思える。 人に馬鹿にされる位なら、鉄拳制裁を使ってでも恐れられた方が感覚的にはいいし。 平塚より新庄と。 思いだすものがある。 ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』
知能に障害があり、母に捨てられ、皆から馬鹿にされながら生きてきた主人公が、それでも母や皆を友達と思いこんで生きてきた。 それがあるとき、手術で天才になって。さまざまな高度なことを学べるようになった。 しかし精神が知能に追い付かず、また母に捨てられたこと、皆から馬鹿にされていることまでわかってしまい、それに反発したため、馬鹿にしながらも親しく接してきた人たちが遠ざかっていく。 主人公はずっと、孤独にさいなまれることになるのだが・・・。 (聞いた話です。今度実際に読もうと思います) アルジャーノンの主人公は手術に限界があって、結局元に戻ってしまうんだけれども、自分はもうこうなった以上、後戻りはできない気がする。 脆くても鋭い、さながら『日本刀』のように生きれば理想的だろう。 なるようにしかならない運命でも、激情家として人を斬り、世を斬らねば、何のために生きているのか分からなく思える。 今回のおまけ 松任谷由美 Weaver of Love - ORIHIME |
||
![]() |
ぼくは今度の参院選、比例は社民に投票しようと思っている。
というか、さんざ民青の人とも付き合ってきたが、いい加減見切りをつけないといけなくなったようだ。 なぜ共産党が日陰のままか? 名前がいけないのか? ぼくは違うと思う。というかそれは、 「自民党という名前じゃ受けが悪いから、『和魂党』という名前にしよう」 という考えと同レベル。 なぜ共産がだめなのか? それは あまりにも妥協・歩み寄り・調整を知らない からだ。 数は力という言葉がある。 田中角栄の言葉だが、多数決制である以上仲間は多いほうが、自分や党の理念・政策が通りやすいという事。 政治家にとっては、理念や政策のほかにもう一つ、 『仲間集め』が大事なのである。 特に従来と違う政策をやろうとしているのならばなおさら。百人ぐらいは作らないと。 人間は理論だけではついてこないのは世の常。 ときには相手側に歩み寄らないといけない。 もちろん無原則に妥協するのも良くはなくて、粗々の方向性は保存・統一しないといけないんだけど、 人の価値観がそれぞれ(しかも今ほど価値観が多様化している時代はないし)である以上は、多少の意見の違いは目をつぶり、受け入れられる考え方に幅を持たせないと仲間は増やせないと思う。 もちろん、人間も清濁両面あるから、合わせて受け入れる器の大きさがないと。 (最終的にはうまく調整して、党の大雑把な意見は統一するんだけど) このようにして政党を作り、ときには複数の党で共闘・連立するもの。 共産はあまりもこの点で幅がないというか、受け入れる器が小さすぎる。 後期高齢者医療制度にしても、派遣法に関しても、『即時』廃止というのは理想的すぎる。 (ちなみに前者は、2013年の任期満了までに新しい法案を出して、その時に廃止するということで落ち着いた。) 後者は上記の理由で民社国の法案に参加してないし。 これでは存在感が出せんだろう。 共産は社民と連立可能と考える人が2%いただけで、他の党に対しては0%だった。(7月1日、朝日新聞より) という体たらく。 同じ護憲・辺野古移設反対・労働者派遣法抜本改正という意見で一致している社民とですらこれだから、 あまりにも妥協・歩み寄りを知らなすぎる。 あれでは人は集まらず、ずっと日陰のままだろう。 (ちなみに社民の方は、民主と連立できると考えている人が50%とのこと) P.S.ちなみに東京大学教授の御厨貴氏によれば、共産党は 『志位委員長の発信力はあるが、貧困ブームを生かせていない』 そうな。 今回のおまけ 星新一ショートショート 『災難』 |
![]() |