卒論をとりあえず書き終え、2月の模試に向けて勉強する傍ら、図書館で浅田次郎の原作“憑神”を借りて読んでいる僕。
![]() 憑いた憑いたよ、憑き神ついた。 やっぱり原作の方が映画よりも面白い。 めまぐるしく移り変わる時代の中で、主人公の彦四朗がただ1人、影武者としての武士の本会を成し遂げていく様がはっきりと描かれてました。 映画版は尺の問題か、それが描ききれなかった一面が・・・・。 (ただ、ラストの上野での戦いは余計だったような気が・・・。原作では描かれていないし。 それに彦四朗がうどん屋の親父に出世払いをするシーンで、貧乏神と疫病神がしょぼくれて立っていなかったもちょっと残念。 彦四朗と貧乏神・疫病神との掛け合いはよくここまで派生したなあ。とおもったんだけど。) ところで、彦四朗は最初の不遇の境遇の中で、兄や舅をはじめとする江戸武士たちがどんどん腐れ果て、強欲で臆病になっていったのを見てみたんだけれど、少なくとも自分はこうはなりたくない、陣を全うして生きていきたい、と思うようになった。 でも貧乏や病気に耐え切れず、舅や兄に災いを振ってしまって、不仁をしてしまったところに人間臭さを感じる。 でも死神を振る卑怯なマネはしたくない、なおかつ武士としての本懐を遂げたい。 そして行き着いた先の結論は “慶喜の影武者として、立派に武士としての勤めを果たす。 少なくとも、旗本としての小義に勤める。” 時代の流れをわかりつつも、自分の美学を貫くあたりは新撰組にも通じるところがあるんだけれど。 そういえば、“壬生義士伝”の吉村貫一郎も、尊王も佐幕もなく、家族のための俸禄をもらうことだけを信条とした。 もしかすると、作者浅田次郎はそういう人が好きなのかもしれない。 今回のおまけ チューリップ『青春の影』 |
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